
あの大混乱の最中、素早く情報を提供してくださった新聞社の皆様と、
でこぼこで危険な道路もあっただろうに、
配達してくださったスタッフの方に感謝しました。
忙しくてなかなか新聞を読めなかった時でも、
毎朝、一面に掲載される「河北春秋」だけは読んでいました。
気に入った記事は、切り抜いて持ち歩いたりするので
隠れファンなのかな・・・・。
震災翌日の12日の新聞にも、なんと、河北春秋が掲載されていました!!
3月19日(土)に掲載されていた河北新報「河北春秋」より、
文章を抜粋します。
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大震災から1週間が過ぎた。
厳しい避難生活の中、疲れ果てた心には
「頑張れ」が重くなる時もあるだろう。
折れそうな心には今、希望を注ぎ込みたい。
「希望の言葉を贈り合おう。」
がんと闘って生き抜いた人たちが呼び掛けた。
そんな活動を思い出した。
言われて楽になれた、静かに寄り添って力をくれた言葉を集め、
本も編んだ。
大震災を生き抜く私たちもそんなふうに希望の言葉を探し出して
周囲と語り合ったら、今をしのぐともしびにならないだろうか。
アンパンマンの生みの親、やなせたかしさんのこんな詩がある。
絶望のとなりに 誰かがそっと腰掛けた
絶望はとなりの人に聞いた
「あなたはいったい誰ですか」
となりのひとは ほほえんだ
「私の名前は希望です」
うつむく一人一人の隣りに腰掛けてくれますように。
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記者さんの優しい心遣いと、やなせたかしさんの詩に、
心が温まります。
今、避難している方はもちろん、
いろいろ・・・・、
みんなが大きな不安を抱えていると思います。
さすがの私だって、そのひとり。
どうか、みなさん、お一人お一人に希望が訪れますように・・・・。
ここで、結べないのが、私・・・・。(苦笑)
かなり昔ですが、私がまだ中学生だった頃、月刊誌「詩とメルヘン」を愛読していました。
やなせたかしさんは、ずっと「詩とメルヘン」の編集長をなさっていました。
その当時、既に、アンパンマンは、情緒溢れる短編やコメントで
挿絵付きで存在していました。
その頃のアンパンマンは、やなせさんの心情を表現し、彼の子供のような存在
だったのではないかと思います。
みなさんは、「手のひらを太陽に」をご存知ですか?
この童謡は、やなせたかしさんの作詞です。
よかったら、実際に口ずさんでみてね♪
私も歌ってみたら、なんか、元気がでましたよー♪
「手のひらを太陽に♪」
僕らはみんな生きている 生きているから歌うんだ
僕らはみんな生きている 生きているから悲しいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
真っ赤に流れる僕の血潮
みみずだって おけらだって あめんぼだって
みんなみんな生きているんだ 友だちなんだ
僕らはみんな生きている 生きているから笑うんだ
僕らはみんな生きている 生きているからうれしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
真っ赤に流れる僕の血潮
とんぼだって かえるだって みつばちだって
みんなみんな生きているんだ 友だちなんだ♪
Wikipedia (ウィキペディア)より
作詞者のやなせは、
「厭世的な気分になって追い込まれていた時のことです。
暗いところで自分の手を懐中電灯で
冷たい手を暖めてながら仕事をしていた時に、
ふと手を見ると真っ赤な血が見える。
自分は生きているんだという再発見と、
その喜びを謳歌して頑張らなくちゃと、
自分を励ますためにこの詞を作った」
と述懐している。
今朝TVで、3号機への放水を行ったハイパーレスキュー隊の
統括責任者の方が話していましたが、
ホースから水が出た時、「神の水だ!」と思ったそうです。
原発事故も、日本中、世界中の祈りに
見守られています。
(人間だけの祈り、ではないようにさえ思えます。)
原発事故に命をかけた関係者の方々、
まだ十分に救われていない被災者の方々、
戦場にいるリビアの方々の無事を、
みんなで祈りしましょう。
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